Tag: 群馬県

御巣鷹の尾根で慰霊登山 日航機墜落事故から33年

御巣鷹の尾根で慰霊登山 日航機墜落事故から33年

  日本航空のジャンボ機が1985年に墜落し、520人が犠牲になった事故は12日、発生から33年を迎えた。墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根には早朝から遺族や関係者が集まり、山道を登った。尾根の斜面に点在する犠牲者の墓標や、「昇魂之碑(しょうこんのひ)」の前で手を合わせた。 夕方にはふもとの「慰霊の園」で追悼式が予定され、遺族らは墜落時刻の午後6時56分にあわせ、ろうそくに火をともし、祈りを捧げる。

大人気「ハラダ」ラスク、売れ残りパンの再利用がルーツ

大人気「ハラダ」ラスク、売れ残りパンの再利用がルーツ

  春の叙勲に、群馬県内からは60人が選ばれた。社会の様々な分野で顕著な功績を挙げた人に贈られる旭日章は14人。公務や公共的な業務に長年従事した人に贈られる瑞宝章には46人が選ばれた。 旭日単光章 原田俊一さん(88)  ガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」は、フランス語で「王様のおやつ」という意味だ。贈答品としても重宝され、いまや群馬を代表する洋菓子となった。「ガトーフェスタ ハラダ」の名で知られる菓子製造販売業「原田」(群馬県高崎市新町)の礎を築き、現在も会長の職にある。 1901年創業の和菓子店の3代目として生まれたが、店も人生も戦争にほんろうされた。戦中戦後は砂糖をはじめ原材料がなかなか手に入らず、菓子作りはままならなかった。 戦後復興期、配給用のコッペパンや食パン製造に活路を見いだす。やがて学校など大口に卸すようになり、経営が軌道に乗った。「実はラスクを作り始めたきっかけは、パンだった」と振り返る。 売れ残ったパンはすぐに硬くなり、捨てなければならないのが嫌だった。何とか生かせないか――。模索の末に、ラスクとして加工することを考えた。 食パンをカリカリに焼き、砂糖を煮てつくるフォンダン(摺蜜〈すりみつ〉)を塗った。この手作りラスクを2枚10円で店頭に並べると、小学生が列をなした。 半世紀ほど細々とラスクを作り続けていたが、知人に「贈答用にできないか」と持ちかけられ、グーテ・デ・ロワを2000年に発売。爆発的なヒットにつながった。 今は最初からラスクを作る前提でパンの生地を焼いている。それでも「ラスクのカリカリした食感の原点はパンづくりにある」という。使うバターなどの材料もつねに見直しを欠かさない。 北は札幌から南は福岡まで主要都市のデパ地下などに出店しているほか、ネット通販でも全国のファンが買い求める。 「砂糖が貴重だった時代を知っている。お菓子がつくれる時代は幸せだ」。ラスクを食べた人の笑顔を見るのが、一番の喜びだ。

草津白根山噴火2カ月 陸自第12ヘリ隊、標高2000メートルで任務全う「御嶽山の教訓 生きた」

草津白根山噴火2カ月 陸自第12ヘリ隊、標高2000メートルで任務全う「御嶽山の教訓 生きた」

  草津白根山の本白根山(群馬県草津町)の噴火から23日で2カ月。噴石に見舞われたスキー客の救助にあたった陸上自衛隊第12旅団第12ヘリコプター隊の隊員2人が産経新聞の取材に応じ、当時の状況を初めて語った。噴石の直撃で仲間が倒れている中での救助活動。生かされたのは、4年前の御嶽山(長野、岐阜両県)噴火の救助活動で得た経験だった。 「とにかく無事でいてほしいという思いだった」。現場の草津国際スキー場に急行したヘリコプターの機長、小沢義久3佐(45)と、同乗した石井大樹1曹(38)は当時をこう振り返る。 噴火からまもない1月23日午前10時過ぎ。北宇都宮駐屯地(宇都宮市)で訓練中だった小沢3佐は「草津白根山が噴火、隊員数人が負傷」という連絡直後からヘリの出動準備を始め、石井1曹ら4人を乗せて中継地の相馬原駐屯地(群馬県榛東(しんとう)村)へ出発。続いて「取り残されたスキー客80人を救助せよ」との指令を受け、草津国際スキー場のロープウエー山頂駅(草津町)へ向かった。 無線には自衛隊員が被害を受けているとの連絡が次々に入った。「何かできることはないか」。仲間の容体が気になる。しかし、指令は山頂のスキー客の救助だ。「他の仲間に任せるしかない」。自分たちの任務に専念した。 山頂駅付近には、雪の上に最大直径30センチほどの噴石が散在していた。 「再噴火するかもしれない」。それでも歩く体力があるスキー客14人をヘリに誘導、麓のレストハウス近くまで運んだ。「スキー客はおびえ、興奮していた」と石井1曹。噴火の衝撃の強さが伝わってきた。 小沢3佐や石井1曹らは63人の死者・行方不明者を出した平成26年9月の御嶽山噴火の際も現地で救助活動を行った。現場ではその経験が生きた。 御嶽山も草津白根山も、現場は標高2千メートルを超える。薄い空気でヘリコプターの性能が極端に落ちるが、機体の能力を最大限に生かし、救助活動するすべを知っていた。また、御嶽山では降り積もった火山灰が舞い上がり前方の視界が失われた。今回も吹雪で積もった雪を舞い上げれば同様の状況が想定される中、慎重に機体を動かした。 全員の無事を、との願いは届かず、伊沢隆行陸曹長(49)=3等陸尉に特別昇任=が死亡、他の隊員やスキー客ら11人も重軽傷を負った。被害に遭った隊員はともに訓練を行う仲間で、全員顔見知りだった。 「こんな偶然があるのかと思った」と小沢3佐。それでも災害派遣のスペシャリストとして任務を全うした。「今回は悪天候の中、迅速な救助ができたと思う」。隊は次の出動に向け日々訓練を続けている。(住谷早紀)

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パイロットがアルコールテストに不合格になった後、日本の飛行機が遅れた

新しい規則にもかかわらず、副操縦士がアルコール呼気検査に失敗した後、今週初めに日本全日本空輸の国内線が遅れた。 飛行乗組員の飲酒を含むいくつかの事件が見出しに当たった後、日本がパイロットによるアルコール消費を抑えるための新たな規制を導入した後にこの事件が起こりました。 火曜日に、ANA副操縦士は322人の乗客と一緒にボーイング777を日本の西部の神戸から東京の羽田空港に飛ばすことになっていました。 しかし彼は呼気検査に失敗し、飛行の約6時間前に彼のホテルの部屋でビール1杯とアルコール飲料の半分の缶を消費したと言った。 交換用のパイロットが発見された間、飛行は1時間以上遅れました。 航空会社は声明の中で、それは「厳密に」事件を扱うだろうと述べた。 それは飛行の24時間前までにアルコールを飲むことからパイロットと共同パイロットを禁止しました。 昨年末、イギリスで日本航空副操縦士が逮捕され、飛行直前に法定限度の10倍近くの血中アルコール濃度で発見された後、10ヶ月間刑務所に投獄された。 彼は伝えられるところによれば飛行前夜に6本以上のワイン2本と1.8リットル以上(米国の4パイント近く)のビールを消費していた。 1月の規則変更の前は、日本は飛行前の航空機乗務員による飲酒に法的制限はなく、呼気検査は必要ありませんでした。

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