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日ハム新球場にホテル・温浴施設、ファン以外取り込み

日ハム新球場にホテル・温浴施設、ファン以外取り込み

  北海道日本ハムファイターズの新球場を核とするボールパーク(BP)の建設予定地が北広島市に正式決定した。日本ハムグループは5日に札幌市内で会見。球場を保有・管理する新会社に球団の事業部門も移管し、一体運営で事業効率を高める戦略だ。さらに球場周辺を一体開発して地域振興を図る。ただ、収益面やアクセスで課題も多い。 新球場の建築面積は約5万平方メートルで、収容規模は3万5千人。駐車場は3千~4千台規模という。雪が落ちやすいように切り妻屋根を採用し、スライドさせて開け閉めする。設計と施工は大林組と米設計大手HKSの連合が担当。2020年5月に着工し、23年3月の開業を目指す。 国内でのドーム建設は01年に開業した札幌ドーム以来、約20年ぶり。建設予定地は現在空き地となっており、日ハムグループは約37ヘクタールの土地を一から開発する。 今後パートナーとなる企業を決定し、球場の周りに商業施設やホテル、レストランや温浴施設などを併設する。米大リーグでは球団が行政や他企業を巻き込みながら球場を核とした街づくりに取り組んでおり、これを日本に移植する試みだ。試合のない時でもファンはもちろん、今まで野球に興味のなかった層にもBPに足を運んでもらう。 球団誘致に成功した北広島市は札幌市に隣接する人口約6万人の自治体だ。16年5月に球団が新球場構想を打ち出すと、いち早く誘致を表明。市はBPの経済効果を年間150億円と見積もる。球団に対して少なくとも10年間、固定資産税や都市計画税を免除することも表明している。 市はBP周辺の交通渋滞を緩和する道路も新設する方針。これまで議会などで予算や工期の調整を進めてきた。誘致が正式決定したことで整備計画が本格化する。ただ、周辺には国の特別天然記念物「野幌原始林」があり、道路の新設が自然に与える影響を懸念する声も出ている。 球団は新球場に向け、19年9月に新会社を設立する。今は球団が担っている試合の運営やPRなどの事業を新会社に移管する。現在本拠地とする札幌ドームではできない球場と球団の一体運営によって興行の自由度を向上。観客数の増加やイベントの開催を通じて収益を高める狙いだ。 新会社の資本金は200億円超になる見込み。日ハムグループは新会社に67%出資し、連結子会社とする。新会社はこれに日ハム本体からの借り入れで約400億円を調達し、球場の総工費600億円をまかなう。さらに電通など数社も新会社に出資する。 BPの命題は投資を上回る収益を上げることに尽きる。5日の会見で球団の前沢賢取締役は「基本的にプロ野球興行だけで収益を成立させる方針」と述べたが、詳細な見通しは明かさなかった。 札幌ドームの年間の管理費は約20億円とされ、新球場の管理にも光熱費や人件費を含め年間で10億~20億円程度の費用がかかる可能性がある。これまで札幌ドームに支払っていた年間十数億円の使用料はなくなるものの、開業後にどう収益を上げるかは不透明だ。 収益を上げるためには集客力を高めることが必要だが、アクセスという課題が依然残る。ポイントとなる球場隣接の新駅の整備は見通しが立っていない。23年の球場開業に間に合わない可能性がある。新駅は平日試合後の場合、1時間あたり平均5千人程度の輸送力をもつ試算がある。一方で投資負担が大きい上に9月に大地震が発生。経営再建中のJR北海道との協議は長引きそうだ。 球団と道、北広島市は5日、連携協定を結んだ。アクセス道路の整備や、BPを活用した地域活性化について協力する。BPを成功させるため、日ハムグループは19年以降も道やJR北、パートナー企業といった関係者との調整能力が一層求められる。

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