カンボジアPKOから25年…復興タケオで“遺跡化”する自衛隊宿舎

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【アツいアジアから旬ネタ直送「亜細亜スポーツ」】日本政府はさる16日に閣議決定した答弁書で、アフリカ・南スーダンのPKO(国連平和維持活動)に派遣された自衛官のうち、2人が帰国後に自殺、1人が傷病で死亡していたことを明らかにした。

自衛隊のPKO参加には紛争当事者間の停戦合意など一定の安全を考慮した5原則がある。果たしてそれは守られていたのか? 以前、派遣部隊作成の日報がほとんど黒塗りのまま公開された問題も結局ウヤムヤのままだ。森友問題だけでなく、この件も安倍内閣は説明責任を迫られている。

今でこそ定着しているPKOへの自衛隊派遣。その第1回は1992年のカンボジアだった。内戦が終結した同国の治安維持や選挙の監視などを行うためUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が設立され、その一環として自衛隊が道路補修や物資輸送、医療などの業務に当たることになった。自衛隊のPKO初参加で、日本は賛否両論が渦巻いた。

この最初の任務が翌93年に終わり、今年で25年の節目。当時、自衛隊の宿営地だったのがカンボジア南部のタケオだ。今ではすっかり平和を取り戻し、タケオ州の州都としてにぎわっている。荒れ果てていた道路も整備され、首都プノンペンまでは快適なドライブで2時間。近郊にはアンコールワットの流れをくむ遺跡群があり、雨期に出現する巨大な湖で取れる手長エビが名産だ。観光開発も進みつつある。

自衛隊宿舎は四半世紀がたち遺跡化。タケオ市街から南に3キロほど、今はサッカー場の一角で野ざらしになっている。周囲には背の高いサトウヤシが生い茂り、放牧牛が草をはみ、のどかだ。

自衛隊員延べ600人の宿舎だった仮設住宅風のコンテナは2棟。中には入れないが、割れた窓から内部をうかがうと、ベッドの残骸や衣服、ペットボトルなどが散乱していた。隊員たちが片付けなかったのか、地元民がその後、入って荒らしたのか定かではないが、朽ち果てたタンスには日の丸が放置。付近には、生い茂るジャングルにのまれた車なども転がる。

自衛隊が去って以降、タケオを訪れる日本人はほとんどいないが、この跡地を見に来る日本人バックパッカーはたまにいるという。タケオにはローカルな飲み屋街もあり、女性がいるカラオケ店「KTV」などが並ぶ。その一軒で話を聞いてみたが、席についたのは戦争を知らない世代のギャル。日本の自衛隊のことは「聞いたこともない」という。

☆室橋裕和(むろはし・ひろかず)=1974年生まれ。週刊文春記者を経てタイ・バンコクに10年居住。現地日本語情報誌でデスクを務め、4年前に東京へ拠点を移したアジア専門ライター。最新著書は「海外暮らし最強ナビ・アジア編」(辰巳出版)。

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