「ジブリとして盛大なお別れの会を」高畑勲さん死去受け

Source: matome.naver.jp

 

アニメ監督の高畑勲さんが5日亡くなった。20代の頃から宮崎駿監督とともに作品を制作。日本のアニメ文化の向上に貢献し続けてきた。国内外から悼む声が相次いだ。

長年、高畑監督とともに仕事をしてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「やりたい事がいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います。宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました」とのコメントを発表した。

丸っこい「ハイジ」、リアルな「おもひでぽろぽろ」、粗い描線の「かぐや姫」。高畑さんは新作のたびに新しいスタイルを追求した。「同じことはしたくない」と実験に挑んだ結果だ。自分のスタイルを崩さず深めていく宮崎監督とは対照的だった。

大ヒットアニメ「この世界の片隅に」で、戦時下の庶民を描いた片渕須直監督は「道しるべとなったのが『火垂(ほた)るの墓』だった」と語る。「高畑さんの子ども時代の体験が反映されている。戦争を経験していない我々がどうすれば『火垂るの墓』に追いつけるのかと必死になりました。高畑さんは『この世界の片隅に』を繰り返し見て下さったようで、『エールを送ります』との言葉をいただいたのが何よりうれしかった」

また片渕監督は高畑さんを「子どもだけでなく、大人も楽しむようになった今日の日本アニメーションの隆盛を築いた一番のキーパーソン」だという。「センスで作るのではなく、作品の中にセオリーを置いて人物を描く唯一の人とも言える。かつて宮崎監督の下で仕事をした時、宮崎さんは『こういう場合、パクさん(高畑さん)ならどうするかなぁ』といつも言っておられた」

森羅万象に幅広い知識と関心を持っていたことでも知られる。詩人の谷川俊太郎さんは「古今東西の美術作品について高畑さんが書いた評論を愛読していました。美術への造詣(ぞうけい)の深さを背景にアニメを制作していた。そこが他のアニメ作家とは異なっていた」と話した。

スイス・ロカルノ国際映画祭で名誉豹賞を、仏アヌシー国際アニメ映画祭で名誉功労賞を受けるなど、海外でもその作品は広く知られている。仏ル・モンド紙の電子版や、米国の映画情報サイト「インディーワイヤ」など海外メディアでも、死去のニュースが報じられた。

5日に亡くなった高畑勲監督は1990年夏、映画「おもひでぽろぽろ」のロケハンのために山形県内を訪れていた。山形市のシネマパーソナリティー荒井幸博さん(60)は、山形で開かれたシンポジウムを通じて高畑監督と知り合い、鈴木敏夫プロデューサーやスタッフとともに、山形市の紅花畑や山寺などを案内した。高畑監督が自ら白いハンカチに紅花染めをし、色を確かめていた姿が印象深いという。

荒井さんは「細部までこだわってリアリティーを非常に追求しながら、人を見つめるまなざしの温かさも感じた。まだまだ新作を撮れると思っていたので、本当に信じられない」と話した。

Source :

asahi

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